『真の成功者』になりたいなら【極悪非道】になれ。
従順で良く言う事を聞く腹心の部下を可愛がり、
寵愛するワンマン社長がたまにいる。
虎の威を借るキツネよろしく
寵愛を受けた部下は、やりたい放題、、で
ワンマン社長の手前、誰も彼に忠告したり
厳しいことを言う人はいなかった。
だが、ワンマン社長が突然、病に倒れ引退
した途端、
可愛がられた部下は、孤立無援で
とうとう会社に居られなくなり去っていった。
これは、文字通り
✖「贔屓(ひいき)の贔屓(ひいき)倒し。」
であり、
可愛いからといって、えこひいきすると
返って本人の為にならない訳だ。
◆また仏教用語で
武田信玄や京セラ創業者の稲森和夫氏が
良く口にしている
【小善は大悪に似たり、大善は非情に似たり。】
も含蓄のある言葉だ。
その意味は
☞目先の自己満足から施す小さな善行は
その場では「善い行い」に見える(小善)が
長い目で見ると、相手に大きな損害(大悪)を与える。
逆に
その場では、酷いコト、非情に思えること(非情)
でも、長い目で見れば、相手の役に立つ(大善)
になることもある。
例えば、
可愛い孫がせがむので、
お爺ちゃんは、毎日の様に「甘いキャンデー」を
買ってあげた。(小善)
その場では、孫も大喜びし、それを見たお爺ちゃんも
だが、半年後、毎日甘いモノを食べていた孫は
虫歯だらけになり、歯医者で抜歯し痛い思いをした。
「大悪」には、悪意を持って「イジメたり」
「嫌がらせ」をしたりする真の大悪もある。
つまり「大悪」には【善き大悪】と【悪しき大悪】
がある訳だ。
「小善」は「偽善」にも似ている。
一見、善人の風だが、実は打算だらけで
善人の仮面をかぶった「悪人」も多い。
◆では「善き大悪」と「悪しき大悪」を
分けるものは何だろうか?
一つには「本当の愛」があるか否か。
もう一つは「長期的視点」の有無。
最後は「嫌われる勇気」を持てるか。
の3点だろう。
つまり
その場限りで、相手に良い顔をして好かれたい
という欲求は誰にでもあるが、
それを許すと「甘えたり」「いい気になって」
将来、相手の為にならない、という強い信念を
持ち、
非情に振る舞うことが出来るのが人格者と
いうもので、
それが出来る人が真の成功者になれる。
ふと、考えると、この
【小善は大悪に似たり、大善は非情に似たり。】
や
【贔屓(ひいき)の贔屓(ひいき)倒し】
は、
相手にすることへの戒めだけでなく
自分自身に対して
「自分可愛さ余りに、怠惰な生活を送り自滅」
したり
「私利私欲に走り、会社の金を横領し捕まったり」
と、私たち自身への戒めの言葉でもあるのかもしれない。
常に「至誠」で「長期的視野」を持って
厳しくは厳しく接するのが、お互いのためだし
遠回りの様で、