「弱者救済のボランティア」に逃げるな!
「社会貢献に逃げるな」
「弱者救済のボランティアなんか、するな!!」
とSNSで叫んだら、おそらく炎上して火だるまになるだろう。
ボランティア活動は、利他の気持ちを持ち、
社会の弱者を自分の力で救う行為は、
人間だけが持つ「思いやり」の気持ちを体現化した
素晴らしい行為だ。
ただ、2つの観点で、あなたには「ボランティアの罠」にハマらない様に注意して欲しい。
1つ目は「自分と家族が極貧で、借金取りに朝晩追われ
今日のご飯も食べられない」様な
「弱者」であるにも関わらず「弱者救済、社会貢献」を
積極的にやっている人・・・
これでは、本末転倒で、まずは「自分救済、家族救済」をして経済的、社会的、精神的に「自立」した後で「他者救済」をしないと、ホンモノの「社会貢献」にはならないだろう。
これは、私の師匠が、
「自分が貧乏で潰れそうなのに社会貢献することで、
自分の存在を確認し、
あたかも「社会貢献」にすがり、依存している人たちが多いのを見て、こうした意見になっている。
私も、基本的には賛成だが、ただ1つだけ思うのは
どんなに貧乏でも、お金も時間も使わなくても、
出来る事社会貢献はある。
例えば、道を歩いていて道端に転がっている
「空き缶」を拾い集めれば、環境を少しでも良くする立派な
「社会貢献」だし、
自分も極貧なら
その空き缶を売って生活費の足しにすることだって
可能だ。(あまり大規模にやるとまずいが)
それに、良く聞く話だが
キリスト教が生活に浸透している欧米では
立派な金持ちほど「寄付」をしているし
何より「リッチ」になる前の「プアーな時代」から
ごく僅かなマネーでも、教会や地域に「寄付」を
していた大富豪は非常に多い。
しかも、ほとんどの人が「匿名」での寄付だ。
つまり、程度問題もあるが
貧乏であっても「お金を使わず社会に貢献」すること
は可能だし
自立していける状態になれば「ほんの少しでも、、
そうたとえ1円でも、寄付をしたり世の中に還元する
精神を持つことは決して悪い事ではないと、私は感じる。
2つ目に関しては、次回お届けしたい。
キーワードは「ボランティア・エゴ」だ。
今日も、素晴らしい一日を過ごして下さい!
僕たちは、全員「社会の一員」として生きている。